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「きれいな説明」と現地の実感のあいだにあるもの――AI時代にこそ必要なラストワンマイルの視点

記事の内容

本記事では、海外現地情報について、AIが公式情報をもとに「きれいに整理してくれる説明」と、現地に暮らす人の実感としての声とのあいだにあるギャップについて考察します。SGSecure や Vaping(電子タバコ)禁止キャンペーンの事例を通じて、このギャップが日本企業の海外市場判断にどう影響し得るのか、そしてAI時代のラストワンマイルとして現地リサーチが担う役割について考えます。

「きれいな説明」と現地の実感のあいだにあるもの


近頃は、AI活用の話題を見ない日はないほどです。市場調査や海外リサーチの領域でも、例外なく良くも悪くも大きな影響を受けています。海外リサーチにおいても、AIをどのように活用して効率化を図るのか、どこから先をAIに任せるべきでないのか、といった点は日々議論されています。
進化を続けるAIが今後どの領域までカバーしてくるのかは未知ですが、ここではあえて「現地で何を確認すべきか」という視点から、ヒントになりそうな事例を書いてみたいと思います。

生成AIが当たり前になった今、海外市場についての情報は、以前よりずっと簡単に手に入るようになりました。公式資料やニュース、調査レポートをAIがまとめてくれれば、「何が起きているのか」というストーリーは、筋の通った文章としてすぐに手元に届きます。しかし、シンガポールや東南アジア等、海外現地で暮らしていると、その“きれいな説明”と、現地での体験としての感覚にズレがある場面にたびたび出会います。振り返ってみると、そのズレは情報の誤りではなく、多くの場合「前提の違い」から生まれているように感じます。
この記事では、論理的に構築された文章(AI+公式情報)と、体験としての人の声・空気感(現地生活者の視点)とのギャップに焦点を当て、AI時代の「ラストワンマイルとしての現地リサーチ」の役割を考えてみます。

AIと公式資料が描く「きれいなストーリー」


まず、AIを含むデスクリサーチが得意なのは、次のようなポイントです。

  • いつ、どんな政策・施策が始まったのか
  • どのような機関が主導しているのか
  • 公式にはどのような目的・背景が説明されているのか
  • どのようなキャンペーンや機能が用意されているのか

といった事実関係の整理と、それらをもとにした筋の通った説明文の生成です。

実際の問い合わせであった事例をもとに考えてみます。シンガポールの例で言えば、テロ対策の国家的ムーブメントである「SGSecure」アプリがあります。日本で同様のコンセプトを持つアプリ開発を検討する企業様から、「シンガポールではどのような戦略を取って市場の認知を拡大したのか」を検証するためのリサーチを実施したいのだが、と言う問合せがありました。ここでAIに「SGSecureとは何か」「なぜ導入され、どう浸透してきたのか」と尋ねれば、公式情報やニュースに基づいて、かなり精度の高い説明が返ってきます。例えば、次のような点はほぼ漏れなく整理してくれるでしょう。

  • テロ脅威への備えとして位置づけられた国家的ムーブメントであること
  • 内務省が主導し、学校・職場・地域コミュニティを巻き込んで継続的な訓練や啓発活動を行ってきたこと
  • アプリを通じて通報・情報提供・教育コンテンツを一元的に届ける仕組みを整えたこと
  • これらを支える、行政への高い信頼やコンプライアンス文化が背景にあること

つまり、「いつ・誰が・何のために・どうやって」というレベルで見れば、AIはすでにかなり“よくできたレポート”を自動生成できる段階にあります。ここまでのレイヤーについては、今のAIはかなり信頼できます。「何が起きているか」という表層のストーリーは、十分に再現できると言ってよいでしょう。
シンガポールに住む人であれば、仮にこのアプリの普及経緯を詳しく知らなかったとしても、こうした説明を読めば「なるほど」と状況を理解できます。一方で、これを日本に住む方に説明する際、同じ言葉を使ってもニュアンスを正しく伝えることが意外と難しいと感じます。

現地生活者の一言が示す、別の「本音レイヤー」


ここまでの話は、AIと公開情報をたどればある程度は再構成できます。しかし、実際に現地で暮らしていると、もう一段違うレイヤーの感覚があります。シンガポールにおける「政府主導」というのは、日本からでは想像も及ばないほど強力なパワーがあるのです。
最近であれば、Vaping(電子タバコ)の禁止キャンペーンにスイッチが入り、ものすごい勢いで展開されました。もともと所持・使用自体が違法であったものの、若年層の間で違反件数が拡大したことをきっかけに、2023年末に保健省(MOH)がマルチエージェンシーで取締り・教育の強化を発表し(MOH・HSA・HPB・MOE が連携)、街全体で一斉に動き出しました。

このときの勢いは、生活者としても強く印象に残っています。子どもの学校からの案内、交通広告ではバスを待っている間、バスの中、電車のホーム、ニュース……ありとあらゆる方向から Vaping の違法性とリスクを啓発する情報があふれました。シンガポール在住者のSNSでも「シンガポール政府の本気を感じる…」といったコメントが多く見られたほどです。

こうした政府の強い姿勢を示すキャンペーンは定期的に立ち上がります。シンガポールでは行政の影響力が非常に強く、政府が旗を振れば社会全体に短期間で情報が行き渡ります。先の SGSecure も、大々的なトレイン&ステーションジャック(電車内とホームの広告枠をまとめて押さえる)で、テロに対する意識啓発キャンペーン展開と共に定期的に告知されますし、過去には電動キックボードが事故多発をきっかけに禁止され、摘発が強化された結果、街にあふれていた電動キックボードが短期間に消えてしまったということもありました。

SGSecure の場合


SGSecureのアプリ普及経緯について言うならば、AI+公式資料が描くのは、「テロ脅威に備え、社会全体のレジリエンスを高めるための国家的ムーブメント」というストーリーでしょう。しかしこれに対して、シンガポールで暮らす人に「なぜこれだけ浸透していると思う?」と聞けば、返ってくる一言は、もっとシンプルなことがあります。「政府が主導しているからね。」と。

どちらも「嘘」ではありません。前者は公式な説明であり、後者は生活者としての実感です。同じ事象を、外側から見た論理的な説明と、内側からの一言で切り取っていると言えます。

Vaping (電子タバコ)キャンペーンの場合


Vaping に対するキャンペーンも、AIに聞けば、健康リスクや若年層への影響、教育・啓発・取り締まりの枠組みを中心とした説明が出てくるはずです。
しかし現地での感覚としては、それに加えて、

  • 学校・家庭・街頭・オンラインを通じて、短期間に同じメッセージが繰り返し届いたこと
  • 「これは非常にリスクが大きい。自身も気をつけなければ。」という空気が一気に広がっていくこと

などが、体験としての印象に強く残ります。ここには、行政と市民の距離感、ルールへの向き合い方といった社会の前提が色濃く出ます。
日本の事情も知る日本人在住者としては、両国の背景のギャップを強く感じる部分です。しかし、この違いを日本語だけで、かつ日本の前提に慣れた読者に伝えるのは簡単ではありません。そして、まさにこのギャップを肌感として理解することこそが「現地を見る意味」そのものだと感じています。

背景事情にフォーカスする――日本の前提で読むと、どこでズレるのか


ここで挙げた例で言うならば、日本の担当者が、AIと公式資料だけを読んでいるとき、表層の情報だけでは次のような理解になりやすいと感じます。

  • 「アプリやキャンペーンの機能性」や「コミュニケーション設計」と、「政府が主導したこと」が同じレイヤーで並ぶ
  • そのうえで、「住民の自発的な納得・共感の結果として普及しているのだろう」と解釈される

日本の行政サービスや啓発キャンペーンの前提で読めば、そのように理解するのは自然です。
しかし、シンガポールのように政府の影響力が強い社会では、

  • 「政府が優先課題として強く打ち出したテーマは、社会全体の共通認識として浸透しやすい。」
  • 「国家的なムーブメントとして位置づけられた施策は、行政・学校・企業・地域が連動して展開されるため、住民の行動にも高い遵守が期待される。」

という感覚があります。同じ文章を読んでいても、頭の中で組み上がるストーリーは違ってきます。

ここで起きているのは、AIが間違った情報を出しているわけではなく、日本側の前提で“きれいな説明”を読んでしまうことで、構造の違いに気づけないというズレです。

なぜこのギャップがビジネス判断に効いてくるのか


このギャップを放置すると、実務上は次のような誤差につながってしまうリスクがあります。

  • シンガポールで「国家的ムーブメント」として浸透した事例を見て、「日本でも同じようなアプリ・キャンペーンを民間主導でやれば、似たように広がるのでは」と考えてしまう
  • 政府主導で作られた“前提”を、「個々人の強い納得・自発的な選好」の結果として読み替えてしまう

本来は、「行政と市民の関係」や「社会規範の作られ方」といった構造が根本的に違うにもかかわらず、表面的な成功の形だけを見てしまう危険があります。

海外の事例を参考にすること自体は重要です。ただしその際には、

  • 何がローカルな前提に支えられているのか
  • 何が自社の文脈にも転用できるポイントなのか

を切り分けて考える必要があります。その切り分けを行うためにこそ、「現地の体験としての声」を聞きに行く意味があります。

ラストワンマイルとしての現地リサーチの役割


ここまで見てきたように、

  • AI+公式情報は、「何が起きているか」を論理的に整理する
  • 現地生活者の声は、「それがどう受け止められているか」を教えてくれる

という関係にあります。

ラストワンマイルとしての現地リサーチが担うべきなのは、この二つのレイヤーをつなぎ、

  1. AI+公式情報が描くストーリーを一度分解する
  2. 現地の声・行動・空気感と照らし合わせて、どこが日本の前提とズレているかを見極める
  3. そのズレがビジネス判断(参入可否・商品設計・コミュニケーション戦略)にどう効いてくるかを言語化する

というプロセスです。

具体的には、

  • AIで初期調査を行い、「筋の通った説明」を一度手元に置く
  • 現地調査で、生活者・売場・街の声を集める
  • 「きれいな説明」と「生の声」のギャップを整理し、どこはそのまま参考になるのか、どこは前提の違いとして切り離すべきかを明確にする

という流れになります。ここで重要なのは、「AIは信用できないから現地で確かめる」のではなく、「AIがほぼ完璧に整理してくれた情報を、現地の前提で“翻訳し直す”」「理解を自分のものとし、応用できるものとする。」という役割として現地調査を位置づけることです。

まとめ:AIの精度が上がるほど、“前提の翻訳”の価値が上がる


今の生成AIは、公式情報をもとにした説明については、かなり高い精度で答えを返すようになっています。その意味で、「情報が足りない」「誤情報だらけ」といった段階からは、すでに一歩先に進んでいると言ってよいでしょう。むしろ、これから問題になりやすいのは、“きれいに整理された説明”を、日本の前提のまま素直に読んでしまうことによる誤読です。AIの精度が上がるほど、「一見もっともらしい文章」に対して疑問を持ちにくくなります。だからこそ、海外市場では AIが作る論理的なストーリーと、現地の体験としての声・空気のあいだのギャップを、意識的に見に行く必要があります。

そのギャップを見える化し、ビジネス判断に意味のある形で翻訳すること。ーこれが、AI時代の「ラストワンマイルとしての現地リサーチ」が果たすべき役割だと考えています。

さらに言えば、ここまで見てきたような問題は、実は調査の依頼時点でもよく起こります。依頼を受けた時点で、調査の前提に日本の常識が当てはめられていることや、各国で同じ調査を実施して比較したい、と言うときに、異なる国の前提を無理に合わせようとしてしまっているな、と言うケースが挙げられます。その意味では、問題の本質は「AIから得られたデータかどうか」ではなく、情報の入手元にかかわらず、データで得られる情報だけに頼らず「現地を見ること」「一段深く理解すること」の重要性に変わりはないのだと思います。

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